04852-170809 野尻小学生キャンプに参加して20年
https://flic.kr/p/Wi9Ltn https://farm5.staticflickr.com/4340/35637356403_8e2c35d707_k.jpg
8月3日から9日まで、東京YMCAが主催する第22回野尻小学生キャンプに参加しました。今年初めて参加した(shioより年長で他のキャンプの経験豊富な)ボランティアスタッフと一緒にシャワーを浴びていたら、色々と質問を受けて話したので、要点を書いておきます。
https://flic.kr/p/WfK3Gf https://farm5.staticflickr.com/4412/35610095294_aa1296f2dc_k.jpg
野尻小学生キャンプの進化
1996年の第1回。東京YMCAのディレクタである飯忍(いいしのぶ)さんによって野尻小学生キャンプが始まりました。もともと中高生向けに作られた「東京YMCA野尻キャンプ場」を使い、彼の理想とする小学生向け6泊7日のキャンプを実現するのが目的です。Booty(ブッティ)と呼ばれて親しまれた彼は100曲以上のキャンプソングを作詞・作曲しています。shioも心から尊敬するBootyは残念ながら2012年8月13日に亡くなりました。
最初の10年はとてもエキサイティングでした。新しいキャンプを作り上げていく過程を、Bootyと共に、楽しみました。試行錯誤の連続。多くのボランティアリーダー・スタッフと小学生の参加メンバーたちによって育まれた「野尻小学生キャンプ」は、他のキャンプとは少し趣の異なる特別なキャンプに育っていきました。内容はもちろんのこと、その最大の特徴はスタッフが充実していることでしょう。70名強のメンバーに対して、40名近くのスタッフが参加しています。YMCAの職員以外、すべて無償のボランティアです。
おかげで、野尻キャンプ場で行う小学生対象のキャンプとして「型」が出来上がり、その後の礎となって、今に生きています。型があることによって、キャンプの中身により注力できる結果、毎年それぞれオンリーワンなキャンプとしてかけがえのない1週間を楽しむことができます。
キャンプにおけるshioの役割
shioは1997年の第2回から今年の第22回まで、数回を除いて参加してきました。20年。気づくと最も長く参加しているボランティアスタッフとなりました。当初はプログラムディレクタ、CITディレクタなどを務め、現在はキャンプの運営を若いスタッフに任せ、一歩引いて「フォトグラファ」として撮影をしながら全体を見守っています。
原則として口を出さない、手を出さない。実際には、数千枚の写真撮影のほか、shioにしかできないことはできる限り行なっています。毎食前後のキャンプソングなどでピアノ伴奏、ヴァイオリン、フルート、リコーダーの演奏、アーチェリー、ヨット、ロープワークなどの指導、キャンプの理念と個々のプログラムのあり方ややり方に関するアドヴァイス、白ポスカによる筆耕、そしてもちろん一人一人のメンバーとの関わりなど。
https://flic.kr/p/Wi9KNp https://farm5.staticflickr.com/4428/35637354143_b70ba9df00_k.jpg
人の入れ替わりについて
野尻小学生キャンプでは、6泊7日の期間中、ボランティアスタッフの入れ替わりがあります。 ボランティアスタッフはすべて社会人なので、週末と有給休暇を使って参加しているため、学校の教員以外、全期間の参加は難しい。例えば木金土日、土日月火、あるいは土日のみ、といった「短期参加」の形態になります。それでいいんですか、というご質問。
確かに他の(YMCAの)キャンプではキャンプ中にスタッフが加わったり帰ったりすることはまずありません。全期間参加できることがボランティアの参加条件です。そもそもボランティアは基本的にすべて大学生の「リーダー」たちであり、社会人が「ボランティアスタッフ」として参加しているキャンプは少ないと思います。
今年の第22回野尻小学生キャンプでは、述べ10名ほどのボランティアスタッフが短期参加です。その中には医師や看護師も含まれています。(他に全期間参加しているスタッフが30名ほどいます)
shioは、このような人の出入りが、野尻小学生キャンプの一つの活力源になっていると感じます。シリコンバレーで2年間生活した経験から「人の出入りが社会に活力をもたらす」との実感を得ました。人の新陳代謝によって世界規模で価値を提供する企業が育まれる。それがわかっているから、シリコンバレーの人々は外来の人を快く受け入れる。新たなアイディアがもたらされる。面白い。
野尻小学生キャンプで新たなスタッフが東京から来るたび、メンバーたちの新たな興味が喚起され、新たな面白みを味わえます。人の出入りがあることで、キャンプコミュニティに活力が与えられていると感じます。
野尻小学生キャンプとルール
野尻小学生キャンプを始めた飯忍さんは「子どもたちの望みをできるだけ叶えよう」とお考えになっていました。中高生向けのキャンプ場として1932年に作られた野尻キャンプ場のルールは、中高生以上を想定して作られているため、子どもが「あれ、やりたい」という希望を持ったとき、キャンプ場のルール上から考えると「それは難しい」というものもあります。
しかし、ルールは社会によって異なります。あるいは一旦作ったルールは社会の変遷ととにも変容する宿命にあります。社会が変わるのだからルールも変わる、変える必要があるのが必然です。それをshioは法学部で「赤信号、みんなで渡って青くする」と教えています。これはshioが12年間通った慶應義塾大学に通ずる田町駅前の信号機の変化という「故事」に由来しています。
中高生を想定して作られているルールなら、小学生には適用できない。小学生用のルールは新たに小学生用のルールとして作るべき。そこで、小学生の多様な望みをいかにして叶えるか。安全を確保し、危険を回避し、ホンモノを実際に経験するために、他のキャンプと比較にならないほど手厚く人を配置し、二重、三重に安全策を講じ、リーダーたちの訓練を重ねて想いとスキルを共有し、そのうえで小学生のメンバーたちの「希望」を実現可能なルールを作って実験を繰り返し、より実態に即したルールに進化させていく。毎年、そのルールは柔軟に見直してさらに進化させることを厭わない、妨げない。
https://flic.kr/p/Wiad38 https://farm5.staticflickr.com/4344/35637442403_2b3671d330_k.jpg
野尻小学生キャンプの進化は続く
こうして作り上げられてきたのが野尻小学生キャンプであり、そのルールです。今年で第22回。これからも徐々に変化し続けていくことでしょう。
このキャンプを創ったディレクタBootyはいつも、「保守的になるな」とおっしゃっていました。賛成です。変化する、のではなく、変化させていくのです。6歳から12歳という新世代たちの創造性を生かすために、古いしきたりや思想は常に刷新を迫られます。
目の前のメンバーたちの現実を直視し、その希望を叶えるために考え、実行し、一歩一歩、変化させていきましょう。新たなものを作り続けましょう。それがBootyの望む野尻小学生キャンプの姿であり、若いメンバーたちにとってかけがえのない1週間となるはずですから。
https://flic.kr/p/XihNij https://farm5.staticflickr.com/4402/36295280212_a53488ffb4_o.jpg